行動

行動するまでは本当に何もかもが億劫だと感じる

 

GWは人と会うことに成功した。

誰も誘ってくれないと泣き言を言っている暇があれば、自分から誘えばいいと

わかっちゃいるけど、なかなかできないでいたから良かった。

 

休みがあって、また仕事の日々に戻る。

ずっと休みだと不安になることを知っている今は、5連休なんかがちょうどいいのかもしれないと思った。

 

やっぱりもう少し長くてもいい。

 

 

しかし5日間は一瞬で終わり、

仕事帰りの各駅停車は永遠に感じる。

 

彼は、彼女は、私を忘れて生きて行くんだろうなと感じる瞬間、とても寂しくなる。

出会いは優しいし怖い。

変なウイルスのタイミングとかが邪魔して、そのまま一生会えない気がしたりしている。

 

花を飾れる部屋にしよう

身分相応に暮らさなければ

熱が出てしまった

咽頭炎だった

39度まであがり、たくさん汗をかいて少しずつ下がっていく

 

最近は人を羨ましいと思うことが多い

バカなことをして勝手な不安にかられたりしている

思っていたよりもショックだったのかもしれない。身体がそう言っている

 

こうして弱っていると、ふとした言葉に涙がでる。やめてくれ、そんなことないって思うのと、嬉しすぎる、ありがとうが入り混じる

 

どうにかしようと思えばどうにかする

どうにかした人から聞くと説得力がある

どうにかしようと思うことを早く見つけたい

 

このまま下がれば明日は出勤

 

 

 

というところまで書いて寝ていた。

熱が出たのは4月28日のこと。

次の日熱は下がったので出勤しました。

入れ替わりで生理がきたから相変わらずへろへろですが…

 

 

人に話す

もう半年も前か

チラッと友達に聞いてもらって、自分が思っていたよりもショックを受けていたことに気づいた話。


母の義理の兄弟、私の叔父が癌を患ってしまった。私は、叔父がどんな人かよく知らなかった。

お盆に実家に帰った時、母はお見舞いに行こうか迷っていると話していた。それから数週間後、叔父が亡くなったと実家の母からLINEが来た。

お葬式に行くのかと聞くと、「行かないで、香典だけおばさんに持って行ってもらう。本当は行きたいけど」と。

私は用事があるのかと思い「行けないの?」と聞いたら、「お父さんがそう言うから、しょうがない」と言われた。


?????????。

けど数秒後には、そういえば父も母もそうゆう人だったと思った。

「そう言われて、お母さんがそう思うなら、しょうがないね」と送った。


時代が違うからとかやっぱり理解できない。どんな時代で、どんな常識の中で生きていたのか、私は一生わからないと思う。

でも母の親戚のお葬式に、なぜ父の言葉が関係するのか。従う必要があるのか?…でも母はそれでいいのか…。

友達に話した時、妙に熱がこもってしまい、ああ、私はこんなにショックだったんだと思った。

友達に理解してもらえた事が本当に良かった。

 

こうゆうことは本当に沢山あるし、そんな中で18年も過ごしているから、自分も気づかないうちに古臭い常識をもっていると思う。

気付いた時にすぐ考え方を直していきたい。


誰も悪くないんだよな

いつもよりお洒落をした

最近、動物を食べることについて考えていた。はっきりといつから考えていたのかは分からないけど、思い当たるのは、実家で飼っていた猫のトマトが死んだことだった。

 

今日、マームとジプシーの「クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ」という演劇作品を観た。

 

仕事の都合で今日か明日しか観に行けず、なんとなく今日にして、今日上演されるのがこの作品だった。

藤田氏の過去作品から、「動物・人体」をテーマにした3作を1つの時間に再編集した作品。

1年ほど前に、ちょっとしたきっかけがあり、マームとジプシーが、藤田貴大さんがきになる存在になった。

だから過去の作品をほぼ知らない中、この作品に、今出会えた事が、「ちょうどいい」と思った。

 

上演前に、偶然、通話をすることになった。相手は、最近話したいと思っていた方だった。

話したかった話はしなかったが、話したい事がある事は伝える事ができた。

 

作品を観終わり、考えた。

トマトはどこへ還ったのか、モモのように最後まで生きようとしていたのか、モモとは違い死ぬために家を離れたのか。

父が育てている、実家の裏の牛小屋で生きていた牛は、いつ殺されていつ食べられていたのか。

牛肉が美味しいと感じるのに、牛が屠殺されるのは哀しいと感じること。

小学生の頃、母の職場の周りに増えすぎた野良猫。隣の地区の公園の小屋に置いてきた、グレーの縞模様の猫は、海の砂浜に置いてきた尻尾が短い猫は、私が泣きながら帰った後、どうしていたのだろうか。

隣のブランコにいつの間にか乗っていた子が、帰りの会で、私と遊んで楽しかったと言っていたこと。

隣のクラスの男子が、子猫を川に流したと笑いながら話していた事や、一度好きになった人が、猫が増えすぎで困っていると話した時の嫌な気持ち。

実家を離れて暮らし、実家に帰りたいと思う事や、幼い頃骨折し、手術した時の傷や、消えない虫刺されの痕。

賞味期限が切れたハムをゴミ袋に入れた時の事。

中学の頃、夜、1人茶の間で本を読んでいると、あぐらをかいた私の膝にトマトが乗っかってきた事。ゴロゴロ喉を鳴らしながら目を瞑り、私が部屋に行くと一緒に階段を登ってきた事。

今作っているものの意味や、作り続ける意味があるのかどうか。

 

こんなこと稚拙と思う人はいくらでもいるんだろうな。

ちょうどいいと感じていた事も、実はずっと考えていて、もしトマトが生きていてもちょうどいいと思ったかも知れない。

でもやっぱり今の私に寄り添ってくれた作品だったと思いたい。

猫と牛の違いはそんなに無いと思いたい。

しかし、私はしばらく肉を美味しいと感じながら食べるだろう。

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