いつもよりお洒落をした

最近、動物を食べることについて考えていた。はっきりといつから考えていたのかは分からないけど、思い当たるのは、実家で飼っていた猫のトマトが死んだことだった。

 

今日、マームとジプシーの「クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ」という演劇作品を観た。

 

仕事の都合で今日か明日しか観に行けず、なんとなく今日にして、今日上演されるのがこの作品だった。

藤田氏の過去作品から、「動物・人体」をテーマにした3作を1つの時間に再編集した作品。

1年ほど前に、ちょっとしたきっかけがあり、マームとジプシーが、藤田貴大さんがきになる存在になった。

だから過去の作品をほぼ知らない中、この作品に、今出会えた事が、「ちょうどいい」と思った。

 

上演前に、偶然、通話をすることになった。相手は、最近話したいと思っていた方だった。

話したかった話はしなかったが、話したい事がある事は伝える事ができた。

 

作品を観終わり、考えた。

トマトはどこへ還ったのか、モモのように最後まで生きようとしていたのか、モモとは違い死ぬために家を離れたのか。

父が育てている、実家の裏の牛小屋で生きていた牛は、いつ殺されていつ食べられていたのか。

牛肉が美味しいと感じるのに、牛が屠殺されるのは哀しいと感じること。

小学生の頃、母の職場の周りに増えすぎた野良猫。隣の地区の公園の小屋に置いてきた、グレーの縞模様の猫は、海の砂浜に置いてきた尻尾が短い猫は、私が泣きながら帰った後、どうしていたのだろうか。

隣のブランコにいつの間にか乗っていた子が、帰りの会で、私と遊んで楽しかったと言っていたこと。

隣のクラスの男子が、子猫を川に流したと笑いながら話していた事や、一度好きになった人が、猫が増えすぎで困っていると話した時の嫌な気持ち。

実家を離れて暮らし、実家に帰りたいと思う事や、幼い頃骨折し、手術した時の傷や、消えない虫刺されの痕。

賞味期限が切れたハムをゴミ袋に入れた時の事。

中学の頃、夜、1人茶の間で本を読んでいると、あぐらをかいた私の膝にトマトが乗っかってきた事。ゴロゴロ喉を鳴らしながら目を瞑り、私が部屋に行くと一緒に階段を登ってきた事。

今作っているものの意味や、作り続ける意味があるのかどうか。

 

こんな事思う人はいくらでもいるだろうし、こんな感情は稚拙と思う人もいくらでもいるだろう。

ちょうどいいと感じていた事も、実はずっと考えていて、もしトマトが生きていてもちょうどいいと思ったかも知れない。

でもやっぱり今の私に寄り添ってくれた作品だったと思いたい。

猫と牛の違いはそんなに無いと思いたい。

しかし、私はしばらく肉を美味しいと感じながら食べるだろう。

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