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うまくいっているような錯覚に陥っている。
前に泣きながら話したことがあった。
大人2人の前で、その時の自分のことを、泣きながら伝えたことがあった。
眠れないです。怖いです。情けないです。
あの言葉やあの言葉が、怖くて忘れられないです。
本当のところは分からないが、私には、しっかり聞いてくれて、納得してくれたと思えた。
いろんな人がいる、トラウマにならないで欲しい、人生楽しいよ。
その日のうちに私は、あの言葉の持ち主に連絡して、次の日の朝2人で話した。
何かした?忍耐力が必要、社会人としてアウト、これからだったのに。
そんなことないです、すみません、情けないです。
今の自分があの時間に戻って、また同じ時間を過ごしたら、眠れていただろうか。怖いと思わなかっただろうか。
いつからか私の基準はそこにある。
暦通りに休めず、毎日同じ時間に眠ることが難しい日々を4年程すごした。
今世界中が苦しめられて混乱させられているおかげで、1日をある程度好きに使えている。
4年前にもやろうと思えばできたことを、今更になってやり始めた。新しいことを知り、作ってみたかったものを作り始めた。
完成していなくとも、その行為だけに、うまくいっている錯覚に陥っている。
また出勤が始まれば、もしかしたらまた何年も、手をつけないかもしれない。
基準になるようなことではないのに、思い出してしまった。要は未練だろうか。言い訳か。
水ではなくてジャスミンティーだった。好きではなかったが、お洒落な気がした。
今ではジャスミンティーをよく飲むし、その度にお茶出しの景色がみえる。
機会は与えられている。
休むのもいいと思う。でも、休めるのだろうか。
手の震えが答えで、それをずっと知っていた。