ギズモが死んじゃった

事務所の猫のギズモ。

 

私の実家のすぐ近くに、母の仕事場がある。

二階建ての青い屋根の事務所。

Mさんと母との2人で仕事をしている。

半分は作業場で、工具や昔使っていたペンキとか木材とかいろいろ置いてある。

 

生まれた時から事務所はそこにあった。

気づいた時には事務所にはたくさんの猫がいた。

 

いつから事務所の中で猫を飼っていたのかよくわからない。中と外を自由に行き来させていた時期もあったような気がする。

Mさんの家の近くでいじめられていた猫をつれてきたりもしていた。

思い出すと、たくさんの猫に会って、入れ替わりでどこかに行ってしまったり、死んでしまったり。

 

ギズモが事務所の中で飼われることになったのは、私が小学校4年か5年くらいだったと思う。

ご飯をもらいにきていた野良猫の赤ちゃんだった。

仔猫が生まれていることは知っていて、冬で、雪の中、親猫と一緒にご飯を食べにきていたところを見た記憶がある。

 

いつの間にか、ギズモは事務所の中にいた。どの子を中で飼ってどの子を野良のままにしているのかはよくわからない。

小学生の私は深く考えず、遊べる猫と遊んでいた。

 

家にも猫がいて、トマトって名前の白猫で、家に帰るとトマトがいる。猫が大好きで、トマトが大好きで、事務所に行かない日も沢山あった。

 

たまに行って可愛い可愛いと言っているだけだったけど、それはそれでかけがえのない時間と経験だった。

 

でも、ギズが大人になるまでの間の記憶があまりない。正直、一緒に暮らしてるトマトが大切だったからだと思う。

 

そして私は高校を卒業したら、実家を出る。

大切なトマトにさえも年に2、3回しか会わなくなる。

家にいたらトマトがいるけど、ギズ達は事務所にいるから会いに行く時間はすごく少ない。

 

たまに会いに行って可愛がると、凄く喜んでくれてたように思う。喉を鳴らして、尻尾を立ててくれて、手をグーパーしてくれてた。

でも、私はすぐに居なくなる。すぐどこかに行く。

それは、会いに行かないことよりも残酷だったりしなかっただろうか。

より寂しい思いをさせていなかっただろうか。

 

ギズが甘え上手で寂しがりで、誰にでも喉を鳴らして膝に乗っていたのなら、そうでもないかもしれないけど。自信過剰なだけかもしれない。

それならその方がいいと思うけど、やっぱりそんなの人間である限りわからない。

 

ずっと小学生だったら、よくわからないまま、会える時にただ可愛がっていても良かったかもしれない。

 

でも、短大を卒業して成人しても、私は。

実家に帰りたくないとしても、地元の他の土地で暮らして、もっと猫達に会いに来る生活を、考えられなかった。

 

今から戻っても、だったらトマトが死ぬ前に帰ってきていればよかったと思うだろう。

 

実家は出ても、地元は出なければよかった。

トマトが死んでからそう後悔していて、

ギズモが死んではっきりとそれが刻まれた。

 

ギズは優しくて、寂しがり屋で甘えたなのに、年下の甘え上手が居るから、その子より少し後ろで自分の番を待つような、控えめで気遣いだった。

いいお姉さんだった。

キョトンとした目とのったりした体が可愛くて可愛くて。高い声が愛おしくて。

 

トマトが死んでから、帰るといつもお線香をあげて泣いている私との時間を、一緒に過ごしてくれた。

 

最後は辛そうで、それが嫌だった。

でも私は毎日一緒にいた母達とも、すぐ近くに住んでいた兄弟とも違って、何もしてこなかった。

 

どうしてもっと早く病院に。せめて痛みだけでも軽くしてもらってよと、心では思ってしまった。

でも私にそれを言う資格はない。

 

ただただ、ギズと過ごした時間を大切に想って、少しだったとしても幸せな時間が増えていたらいいなと、祈るしかできない。