そう言えばここで何かを書くきっかけは

マームとジプシーだった。

 

10周年ツアーでいくつか演目があった中の一つに行って、なぜか考えたことをここに書いていた。

 

知ったのも今から5年前ほどで、よく知っているわけでも追いかけているわけでもない。

今日で5度目の鑑賞になった。

 

 

初めて鑑賞したのが5年前、書を捨てよ町へ出よう

そもそも演劇を自ら観に行ったのが初めてだったような気がする。

 

卒業して上京して就職して退職してまた就職しての1年。その締めくくりのクリスマスイブだった。

若いという事実が、言葉と時間が光っていた。この年が終わる時、やっと地獄の1年が終わったと思ったのを思い出した。

1年なんていってもどこが区切りなんて誰にも分からなくて、全部続いてるのに、そんなことを思った。

 

取り戻してもそこからまたどんどん無くなっていく。取り戻したつもりだったのかもしれない。

 

すぐ後の春、新しくなった新宿で、カタチノチガウを観る。

少しマシになったとはいえカツカツの生活の延長線上で、自分の居場所を考えさせられた。

 

そして3年前、クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダを観て実家の猫や牛を想ってここに文字を綴った。

トマトが死ぬ前に私が1度死んだからいけなかったのか。変わらなければ。戻っていたら。と心がグラグラした。

 

BOATを観たのはもう2年前…衣装に惹かれて観に行くことを決めた記憶がある。

それぞれの立場の感情は、どれも知らなかったのに全部共感して、場所も、見えるものも、

知らないし、でもそこにいる気がした。

BOATがやっている頃、たまたま塩田千春さんの作品のモチーフもボートだった。地元で作品と同じ空間の中に入って、様々な想いを巡らせることになった。

 

何を書こうとしたのかというと、今日、マームとジプシーの公演があったこと、観たこと、思ったこと。

それは、今、地元で1匹の猫が死にそうな事とも繋がるし、昨日の人肌も関係するし、その前に観た映画の感想とも関わるし、その前の………ぜんぶ、私の、みんなの、同じような人間の全部を考えさせられてしまったこと。

だって全部そうゆうことじゃん。

 

「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」

 

今日は書けなかった…