うとうとしている

 

用事を終えて、散財して、安カフェの奥の席で落ち着いている。

温かい飲み物を最近飲んだっけ?

そういえば今月のお昼ご飯はカップ麺と社員食堂のサラダというメニューが続いていて

温かいものは毎日食べている。

この少し肌寒い中の温かいコーヒーだからおちつくのだろう。

 

ねむい

 

ねむい時、目を瞑ると肩のあたりから足の先までがじわぁ〜っとなる。

大変心地よいが、目を瞑るだけでこうなるときは、心身ともにひどく疲れているときだ。

 

「死は考えないものとして」

ひっかかってしまった。

 

たまに思う、今死んじゃったらと。

誰も帰ってこない自分の部屋を想像して、死んだ私の部屋はどう見られるだろう。

誰も知らない私の暮らしを、懐かしむも無く、どうおもうだろう。

私しか知らない空間と記憶と時間は、ただそこにあっただけになって、私が暮らしていた部屋、とだけになって。

 

きっと全部わかってしまう。ガサツで大雑把なことや、あらゆる面で貧乏だったことが。

そう思われる自分は、死んでいたらなんとも思わなくて済むのだろうか。

 

思い出すのは、「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」

 

心を酷く乱された出来事や事件を見聞きしたとき、あるいは目撃したとき、または体験したとき、それをどう受け止めていたのか。

たまに思い出すその時の感情は、「たまに思い出す」でいいのだろうか。

 

同じことを経験して、それをどう感じているかは他の人からは見えない。

 

もう会えないことは、どうしようもない。

こんなにどうしようもないことが現実に起きていて、もう会えない、触れない、声を聞けないことが、本当にあって、その時の私は私が生きていることが、変に思うんだよ。

私が死んだら親は可哀想。でも可哀想と思う私はどこにも居ないし、みんなだって、たまに思い出す程度になるんじゃないかなぁ。

 

トマトに会いたいな。

もう一生叶わないのにそう思って生きてて、

それってどうなんだろうな。

 

もうコーヒーは冷めて、外も暗くなってきた。